定年後その日暮らし

60歳で定年退職、2023年10月より特別支給の老齢厚生年金受給中のキラキラです。地方移住も考えましたが、現在は大阪市内で賃貸住まい。退職後は、夏は北海道、冬は南国タイで過ごす計画でしたが新型コロナで北海道だけに…リタイア後の1人暮らしの日常を週一のペースを目標に記していきます。            

トンサイベイで過ごす

まさにリゾートのプール

3月5日火曜日、サムイ島のトンサイベイに既に3泊し、あと1泊を残すのみになりました。基本日中はどこへも出掛けず、ホテル内で過ごしました。

キラキラの宿泊する棟

ロビー、プール、レストランへのアクセスは良かったです。初日はホテルで夕食、その前にちょっと寄り道、ビーチバー&レストランはハッピーアワーで賑わっていました。

初日の土曜日の夜は、タイ舞踊鑑賞ができるBBQビュッフェをやっていましたのでそれにしました。飲み物はシンハービール1本。税込で2170バーツでした。

BBQ

海鮮串焼、肉串焼

 

オムレツのように見えるのはパッタイ(甘めのタイのヤキソバ)です。

タイ舞踊を観ながら食事

移動した日ということもあり、食後は部屋に戻って睡眠しました。

朝焼け6時40分頃

ビッフェの朝食(3月3日)

しっかり野菜を取るべくサラダをメインにします。ここは、フレッシュジュースが美味しいです。グアバとマンゴーにしました。

3月4日

作りたてのマンゴー・バナナスムージーが絶品でした。入ってすぐがフルーツコーナーで頼むと注いでくれたのがなんと日本人スタッフの方、英語でルームナンバーを聞かれ答えると、キラキラさんですかと言われ、その後日本語で少し立ち話をしました。

いつも最後はフルーツとコーヒーでシメています。

3月5日

アジアンテイストにしようとクィッティアオ(麺)にしてみました。

食後の運動にスマホとカメラを持って敷地内を散策します。

遊歩道が整備されて歩きやすいです。階段が多くバリアフリーのホテルではありません。

茶色と白っぽいのと2種類のリスを見かけました。探鳥もするので、1日8000歩以上は歩いています。探鳥の成果は、初めて撮った野鳥が4、5種類といったところです。高過ぎて遠すぎて色が鮮明でないことも多く苦戦しました。

日中は暑いのでホテルの敷地の外へ出て15分以上歩いて何か買い行こうという気にはなりません。

西洋人はプールサイドで日光浴をしていますが、キラキラは左の五十肩がまだ完治してないのでプールで泳ぐことができません。部屋のバルコニーのデッキチェアで寝そべって海を見ながら、野鳥の囀ずりを聴きながらのんびりする時間も、天井のファンの風があってなかなか気持ちいいものです。本を読んだり、たまにスマホでニュースを一目見る、株価をチェックするくらいで、だいたいボーッとして過ごしています。バルコニーの海が望めるバスタブ、結局一度も使いませんでした。

トンサイベイ、3月6日10時半にチェックアウトします。

サムイ島へ移動

旅行6日目の3月2日は、アンダマン海側のカオラックからマレー半島の反対側(東側)のシャム湾のサムイ島へ移動です。ホテルのリムジン(1700バーツ)でプーケット空港まで60分で着きました。道路がきれいに舗装されて乗り心地は非常に良かったです。プーケットから55分のフライトでサムイ島へ到着しました。友人4人と来た時から22年ぶりです。

サムイ空港には懐かしいタイ人の知人が車で迎えに来てくれました。バゲッジクレームに行く前に声を掛けられてびっくり、なんとカフェを空港に出店しているので空港のIDカードを持っていました。

キラキラの退職前に彼女(Aさん)が大阪の本社に出張してきた時に会って以来5年ぶりです。そもそもの出会いは、2001年に勤め先がバンコクに会社をつくるというので以前のタイでの会社立ち上げ経験を買われて(?)手伝ってと頼まれ、バンコクに出張したときに経理・事務全般のマネージャーとして現地採用されていたのがAさん。大学で会計を学び銀行から転職してきた人でした。英語も堪能で会計も本社経理部門の30代でもこんな優秀な人はいないというレベル、現地社長のKさんと社長の最大の成果はAさんを採用したことですね、と笑いあったものでした。一般会計や税務は完璧なので、キラキラは原価計算・管理を指導してマニュアルを作成、現地社長と本社事業部用の予算実績管理の表を決めたくらいで楽でした。その後、年末の実地棚卸と初決算、フォローと別件で4回訪れました。小さな会社でメンバーに恵まれ雰囲気がよかったと、会社生活で数少ない楽しい良い想い出の一つです。

キラキラの退職後暫くしてAさんはバンコクの会社を辞めてサムイ島へ移住、弟さんがやってるカフェ、飲料等の事業を手伝っているとのこと。移動希望を聞いたことがあり、当時の本社の人事組織運営では海外の有能な人材を引き留められないと思ったものです。おそらく今でも。

ホテルロビー

カフェと飲料の工場を見学してそこで弟さんに会ってからホテルまで送ってもらったのですが、Aさん仕事でこのホテルに関係あり本日も来たけど部屋は見たことがないとのことでカートに乗って移動、一緒にスタッフから部屋の説明を受けてから、スタッフと帰られました。

キラキラの宿泊する部屋

トンサイベイ、さすがいいホテルです。一番安いグレードの部屋なんですが値段はハイシーズンで4泊で16万円ちょっとでした。大きなソファーがあり、海も見え部屋の中でも十分寛げます。バルコニーは海が見えるのは良いのですが、プールがあり鳴き声は聞こえているのですが野鳥は近くに来てくれなさそうですね。朝は広い敷地を探鳥して楽しむ予定です。

 

 

 

 

カオラック

カオラックの朝は23度で少し風があって涼しいので、まずはホテル前のビーチを軽く散歩することから始まります。その後ビュッフェの朝食をいただいてから、カメラを持ってホテルの駐車場から野鳥撮影をしました。カラフルなチャガシラハチクイは電線にも止まるので見つけ易かったです。

声すれども姿見えずの野鳥はオニカッコウの雄、やっと見つけました。

ズアカミツユビゲラもいました。

犬を放し飼いしている家があり、朝は犬も元気で近づくと数匹集まって威嚇してくるので思うように進めません。狂犬病が怖いのでカオラックの探鳥はこれで打ち止めにしました。

お昼は部屋の前のレストランにしました。パッ(ト)シイウ、焼きうどん(平たい麺 )みたいなものなんですが、なかなかいけます。

少し雲が出てきたので両替に外出、2万円で4500バーツ(1バーツ=4.44円)でした。両替の横の果物屋で黄色のマンゴーを1つ50バーツで買ってカットしてもらいました。

部屋に戻り冷蔵庫で冷やしてから15時のおやつにバルコニーで冷えたマンゴーを半分とマンゴスチンを1個いただきました。甘くてとても美味しかったです。キラキラは南国の果物が好きなのでタイはいいですね。パパイアとドラゴンフルーツはホテルの朝食で食べてます。

ソムオー(ポメロ)も好きなのですが、それはお通じが良くなるからと言う理由があってだいたい夕食後に食べています。今回も効果抜群でした。1995年に長期出張で来てバンコクから車で2時間通ってときに、毎朝ホテルの朝食でソムオーを食べてお通じが良くなりお腹の具合を気にせず通勤出来るようになって以降は、タイに来たときはソムオーがあれば買うようにしています。

29日のハズレは夕食でした。前夜に当たりだった同じ店へ行き、トムヤンクンとカオパット(焼飯)、野菜炒めを注文しました。

タイのカオパット(焼飯)は安い屋台で食べてもハズレなし、間違いなく美味しかったのですが、ここのはダメ、タイで初めて美味しくない焼飯を食べました。残念です。翌日は口直しに店を変えることにしました。ローカル色強めなお店です。

イカの炒めもの、空芯菜パッタイ(甘めのヤキソバ)、味はまずまずでした。

街というか村の夜の雰囲気

カオラックの南に位置しているこの小じんまりとしたエリアですが、ホテル5軒の客を中心にした生活圏で、徒歩5分内の範囲でレストラン、バー、マッサージ、スーパー、両替、果物屋、服屋、理容、薬局等が通りの左右奥にありますので、欧州からの客が2~3週ボーっと過ごすのになかなか便利なところという印象です。静かで落ち着いていてのんびり過ごすには良いところです。

 

3日目はタイ南部へ

マンゴスチン

2月28日(3日目)は、午後のフライトでシンガポールからタイへ移動しますのでチェックアウトまでホテル周辺の散歩で過ごしました。朝7時半にカメラを抱えてまずはホテルの4階の中庭へ行くと小さな野鳥が白い花の木に来てくれました。

その後隣のパシリス公園へ行くと大きなトカゲが上手に川を泳いでいました。もし遊歩道を大トカゲがこちらに向かってきたら走って逃げるところです。

パシリスパークの野鳥展望台に登り、じっと待つこと20分、遠くの木のてっぺんに大きめの野鳥がとまってくれました。

オニカッコウの♀

次に少し小さいハチクイ。

うーん、高くて遠いので写りイマイチです。抜けるような青空ならよかったのですが。野鳥を諦めて公園内を散歩、マングローブ林の中に木道が整備されて歩きやすく、また他の遊歩道も大きな木の陰で直射日光を浴びずさほど暑さを感じにすむのがシンガポールの公園の良いところですね。

課題の出国審査があるので10時半にはホテルを出て空港へ向かいました。チャンギ空港の出国審査、心配していた通り自動ゲートの顔・瞳認証が上手くいきません。審査官のいるブースでも駄目で、端っこの特別なブースへ連れていかれてなんとか出国させてもらえました。関西国際空港の顔認証は全然問題なしで通過できているのでパスポートの顔写真との顔認証は基本問題ないはずなんですが。

プーケット行きの飛行機に乗り昼食

サラダの中のマンゴーがとても美味しかったのですが、麺の味付けが合わず海老と野菜だけ食べました。2時間でプーケット空港に到着、タイは入国カードが廃止されていてパスポートのみ、指紋・顔認証があります。緊張しましたが1回でパス、ホッとしました。シンガポールの認証は中国製の認証システムじゃないのかと疑ってしまいます。

目的地のカオラックは空港から北に80kmちょっと、空港のリムジンタクシー(1800バーツ)に乗り80分で到着しました。カオラックは欧州の客が殆どの静かな大人のビーチリゾートで、ホテルの周りにそこそこお店もあるのでのんびり過ごせそうです。チェックインのときタイ語で話しかけられてタイ人かと思った、アジアの客少ないからと言われました。

うーん、2階バルコニーからはビーチレストランビューです。暗くなるまで冷房の効いた部屋でひと休みしてから、ホテル前の通りを散策、徒歩5分内にスーパー3軒、両替3店、タクシー1社、マッサージ6~7店、レストラン10店以上、セブンイレブン1店といったところでしょうか。キラキラには十分です。夕食はルアンタイで

キラキラの大好きな、空芯菜炒め、海老の春雨炒め、ビアチャーンで合計360バーツ(約1700円)でした。リゾート価格ですが、シンガポールや日本で食べるより安くて美味しいです。やっとリゾートに来た気分になってきました。隣のセブンで缶ビールとヨーグルトを、セブンの駐車場の果物屋台でマンゴスチン0.5kgとソムオー(ポメロ、ざぼん似)を買って帰りました。マンゴスチンは雨季が旬なのでハウスものでしょうか、1つ20バーツしました。これで3日目が終了、リゾート旅行の始まりです。

翌日食べたマンゴスチン、旬の味に負けていないみずみずしさと美味しさです。

 

 

 

 

シンガポール半日観光

シンガポールは、朝7時を過ぎてやっと明るくなってきました。本日の天気は曇り一時雨の予報ですが、世界遺産シンガポール植物園、新しいマリーナベイサンズとガーデンズ・バイザベイ、定番のマーライオンを訪ねる予定です。

ホテルに隣接するパシリスパークを通ってMRTのパシリス駅へ向かいました。

パシリスパークはシンガポールの北の海岸沿いにありますので遠くに見えるのはマレーシア・ジョホールバルでしょうか。

暑さに弱いはずのゴールデンレトリーバーシンガポールで飼って散歩させてるんですね。既に気温28度。ワンちゃん、完全に歩きたくないモードでした。野鳥の声がして見上げるとアオバトやインコが木の上の方にいたのですが背景が曇り空で黒く写って駄目でしたので翌朝晴れの時に再挑戦です。

MRTはクレジットカード(ビザタッチ)で交通系ICカードのように改札を通れるので助かりました。ボタニックガーデン駅の出口を出ると直ぐに植物園の入口があります。

実は植物を観るよりは野鳥を探していたのですが、撮れる場所に留まってくれる野鳥は僅か、現地のバーダーさんと一緒に撮りました。アオショウビン

チャノドコバシタイヨウチョウ

一応植物もスマホで撮影しました。

シンガポール植物園、歩き疲れて2時間弱で切り上げました。

次はMRTに乗ってマリーナベイサンズとガーデンズ・バイザベイへ、新しいと言ってもかなり経ちますが、シンガポールを代表する観光名所でしょう。バックが青空だとよかったのですが、灰色曇り空で残念です。

ガーデンズ、上には回廊があるのですがチケットカウンターの窓口が1つしか開いてなくて待ち人多く、また進みがすごく遅いので諦めました。

ガーデンズ側からマリーナベイサンズ

中は

マーライオン側から

観光の最後はマーライオン、キラキラは友人と3人で20年以上前に訪れています。

向かいにマリーナベイサンズの建物が見えますので背景が変わって場所として世界三大ガッカリと言われていたキラキラが友人と前に来た時よりも魅力が増したのではと感じました。夜はプロジェクトマッピングをするらしいです。

昼過ぎの気温は30度。ここまでで大分歩いたので、昼食は最寄駅ラッフルズプレイスから近いシンガポール川沿いの店で海鮮ホッケンミーとタイガービールをいただきました。

雨(スコール)が降ってきたのでしばらくここで雨宿りしてから、MRTで乗り換えなしでパシリスへ戻りました。ホテルへの道中にホーカーセンターがありましたので寄り道してパパイアジュースで喉を潤しました。

タラタラ歩いたので2万歩超えてました。よく眠れそうです。

 

 

 

 

 

 

 

いざ南国へ出発!

2月26日関西空港17時発の飛行機でシンガポールへ。事前に入国カードをWeb登録することになっていて少し戸惑いました。前回シンガポール入国はコロナ前の2020年2月、当時はそんなものはなかったはず。JALのホームページの入力例を参考にして登録すると申告明細がメールで送られてきて、そこにはバーコードがあり、恐らく入国時に読み取るんだろうと思い、紙にプリントしました。

キラキラはスマホだけでは不安に感じるタイプなので、念のため航空券、宿泊予約も全て紙にプリントしています。

荷物は、昨年5月のマレーシア(ランカウイ島・クアラルンプール)はリュック1つで行ったのですが、今回は寒い2月に出発なのと土産があるのでスーツケースと小さなリュックになってしまいました。関西空港4F国際線チェックインカウンターは外国人客でいっぱいでした。ラウンジかDuty Freeショップでの2000円買い物券か問われて、待ち期間が2時間あるのでラウンジを選択しました。

関西空港国際線出国手続後

関西国際空港も昨年5月とは国際線の動線が変わって戸惑い、出国手続後のDutyFreeゾーンが拡大し、それに用のない旅客には不便になりました。待ち時間にJALのさくらラウンジで日本酒の春鹿とカレーをいただきました。

ウェルカムドリンクはシャンパ

サテーと🇮🇹トスカーナ産ワイン

夕食は和食「花恋暦」にしました。

鮑がありました😋あとはフルーツとコーヒー。まだシンガポールまで3時間ちょっと残ってますのでミッションインポッシブル7に続き古い日本映画の洋菓子店コアンドルを観終えたところでやっと残り35分になりました。

機内アナウンスで到着地の気温は摂氏27度、ターミナル2に着陸との案内がありました。現地時間23時(日本時間0時)にゲート到着、Arrival Hallまで急いで7分かかりました。

入国審査が自動化されているのですが、初めてだと戸惑います。スタッフが付いてくれてパスポートを読み取るまではよかったのですが、親指の指紋の後にカメラで目の虹彩を読み取るのを3回繰り返しても上手くいかずに、結局審査官が座ってる左の方のブースの方で同じ手続きを何か操作してもらいながら時間かかってなんとか入国できました。以前台北で指紋登録が上手くいかずに困ったことがあったのですが、キラキラの目と指はどうも入国管理の自動化には向いていないようです。中国には入国できないかも。預け荷物を受け取り、1万円(=87.3シンガポールドル)両替してタクシーでパシリスのホテルに着いたのが23時40分、さすがに疲れました。部屋に入りwifi繋げると入国審査の結果(入国許可証?)がメールで来てました。

28日の出国が自動ゲートで出来るかどうか多少不安です。2月26日、大阪からシンガポールへの移動だけの1日でしたが、チャンギ空港到着からが一番疲れました。

 

大阪レトロ建築(今橋・高麗橋)

翌日は日中ずっと雨というので2月24日の土曜日に翌週からの海外旅行のお土産を1つ買いに心斎橋へ。帰りは淀屋橋で降りて周辺のレトロ建築を探してぶらぶら散歩、昼から晴れて厚手のダウンを羽織っていたので少し暑かったです。

地下鉄淀屋橋駅のまん中あたり、御堂筋東側に今橋通りを挟んで日本生命本店のビル群が見えます。

今橋3丁目。1938年に第一期、1962年に第二期が完成。周辺にもビルを建て日本生命村を形成している感があります。キラキラが20代から30代の頃、職場に黒のスーツを着た日生のセールスレディがよく見えてました。どの生保も若い女性は皆濃紺でなく黒のスーツでした。

今橋、高麗橋ともに大川から道頓堀川を繋ぐ東横堀川にかかる橋です。そこから西へ1丁目、堺筋を超え2丁目、 3丁目、御堂筋を超えると4丁目となっています。現役の頃は殆ど縁がなかったエリアです。

さて御堂筋東側の日生村を抜けると古そうな建物が見えてきました。

愛珠幼稚園

今橋3丁目。現存の建物は1901年竣工。木造建築。同じく木造の適塾緒方洪庵旧宅に隣接、南側が愛珠幼稚園になります。愛珠幼稚園は1880年に開園、日本で3番目に古い幼稚園です(最古は東京女子師範学校附属幼稚園)。園舎の南側には銅座跡の石碑がありました。

今橋通りを東に堺筋へ行くと新井ビル。

今橋2丁目。設計は河合浩蔵。1922年に大日本報徳銀行大阪支店として建てられ、その後日本産業貯蓄銀行大阪支店として利用されていたものを新井証券が取得し新井ビルと命名。現在はテナントビルとなっていて2005年からスイーツの「五感」が入ってます。五感の商品まだ買ったことがありません。

今橋通りの1つ南が高麗橋通り。堺筋の東側に、三井住友銀行大阪中央支店

高麗橋1丁目。三井銀行の大阪支店として1936年に建て替えられたものです。高麗橋通り周辺は大阪の銀行街として発展した場所、近くにキラキラが若かった頃は三越百貨店がありました。三井グループは現在の北浜駅周辺、住友グループは住所は北浜でも淀屋橋駅と肥後橋駅の間に拠を構えていたんですね。

堺筋の西側には高麗橋野村ビル

高麗橋2丁目。1927年の竣工。三越百貨店の筋向かいに建てられました。野村財閥持株会社野村合名(野村證券も傘下企業の一つだった)の貸ビルとして建てられました。設計は大阪瓦斯ビルでも知られる安井武雄。野村殖産㈱が本社をおき、ビルを管理しています。

もう少し西へ進むと高麗橋ビルディング

高麗橋 2丁目。辰野金吾、片桐安の設計で1912年に大阪教育生命保険ビルとして建てられました。辰野金吾と言えば、確かに東京駅に似た雰囲気がありますね。右奥のベージュの建物は日本基督教団浪花協会で1930年建築です。

淀屋橋駅に戻り、日生ビルから御堂筋を超え今橋通りを西へ進むと大阪倶楽部があります。

今橋4丁目。安井武雄の設計。1924年の竣工。社交倶楽部である社団法人大阪倶楽部の会員制会館。キラキラには全く縁がありませんでしたが洋食レストランがあるので機会があれば1度利用してみようかと思います。敷居が高そう。

今橋ビルヂング

今橋4丁目。1925年に大阪市の中央消防署今橋出張所として建設されました。現在はイタリアンレストランとして利用されており、1階は消防車の車庫だったのがカウンター席に、3階の消防士待機場所がデーブル席になっています。

高麗橋通りより南側、いわゆる'船場'(せんば)地区はキラキラが昔仕事で歩いた場所、こちらのレトロ建築もスマホで写真に撮っていますのでまたいつかブログに掲載したいと思っています。