定年後その日暮らし

60歳で定年退職、2024年7月で65歳になったキラキラです。地方移住も考えましたが、現在は大阪市内で賃貸住まい。退職後は、夏は北海道、冬は南国タイで過ごす計画でしたが新型コロナで北海道だけに…リタイア後の1人暮らしの日常を週一のペースを目標に記していきます。            

大阪レトロ建築(今橋・高麗橋)

翌日は日中ずっと雨というので2月24日の土曜日に翌週からの海外旅行のお土産を1つ買いに心斎橋へ。帰りは淀屋橋で降りて周辺のレトロ建築を探してぶらぶら散歩、昼から晴れて厚手のダウンを羽織っていたので少し暑かったです。

地下鉄淀屋橋駅のまん中あたり、御堂筋東側に今橋通りを挟んで日本生命本店のビル群が見えます。

今橋3丁目。1938年に第一期、1962年に第二期が完成。周辺にもビルを建て日本生命村を形成している感があります。キラキラが20代から30代の頃、職場に黒のスーツを着た日生のセールスレディがよく見えてました。どの生保も若い女性は皆濃紺でなく黒のスーツでした。

今橋、高麗橋ともに大川から道頓堀川を繋ぐ東横堀川にかかる橋です。そこから西へ1丁目、堺筋を超え2丁目、 3丁目、御堂筋を超えると4丁目となっています。現役の頃は殆ど縁がなかったエリアです。

さて御堂筋東側の日生村を抜けると古そうな建物が見えてきました。

愛珠幼稚園

今橋3丁目。現存の建物は1901年竣工。木造建築。同じく木造の適塾緒方洪庵旧宅に隣接、南側が愛珠幼稚園になります。愛珠幼稚園は1880年に開園、日本で3番目に古い幼稚園です(最古は東京女子師範学校附属幼稚園)。園舎の南側には銅座跡の石碑がありました。

今橋通りを東に堺筋へ行くと新井ビル。

今橋2丁目。設計は河合浩蔵。1922年に大日本報徳銀行大阪支店として建てられ、その後日本産業貯蓄銀行大阪支店として利用されていたものを新井証券が取得し新井ビルと命名。現在はテナントビルとなっていて2005年からスイーツの「五感」が入ってます。五感の商品まだ買ったことがありません。

今橋通りの1つ南が高麗橋通り。堺筋の東側に、三井住友銀行大阪中央支店

高麗橋1丁目。三井銀行の大阪支店として1936年に建て替えられたものです。高麗橋通り周辺は大阪の銀行街として発展した場所、近くにキラキラが若かった頃は三越百貨店がありました。三井グループは現在の北浜駅周辺、住友グループは住所は北浜でも淀屋橋駅と肥後橋駅の間に拠を構えていたんですね。

堺筋の西側には高麗橋野村ビル

高麗橋2丁目。1927年の竣工。三越百貨店の筋向かいに建てられました。野村財閥持株会社野村合名(野村證券も傘下企業の一つだった)の貸ビルとして建てられました。設計は大阪瓦斯ビルでも知られる安井武雄。野村殖産㈱が本社をおき、ビルを管理しています。

もう少し西へ進むと高麗橋ビルディング

高麗橋 2丁目。辰野金吾、片桐安の設計で1912年に大阪教育生命保険ビルとして建てられました。辰野金吾と言えば、確かに東京駅に似た雰囲気がありますね。右奥のベージュの建物は日本基督教団浪花協会で1930年建築です。

淀屋橋駅に戻り、日生ビルから御堂筋を超え今橋通りを西へ進むと大阪倶楽部があります。

今橋4丁目。安井武雄の設計。1924年の竣工。社交倶楽部である社団法人大阪倶楽部の会員制会館。キラキラには全く縁がありませんでしたが洋食レストランがあるので機会があれば1度利用してみようかと思います。敷居が高そう。

今橋ビルヂング

今橋4丁目。1925年に大阪市の中央消防署今橋出張所として建設されました。現在はイタリアンレストランとして利用されており、1階は消防車の車庫だったのがカウンター席に、3階の消防士待機場所がデーブル席になっています。

高麗橋通りより南側、いわゆる'船場'(せんば)地区はキラキラが昔仕事で歩いた場所、こちらのレトロ建築もスマホで写真に撮っていますのでまたいつかブログに掲載したいと思っています。